トップページ > 三谷祭の歴史

ポスター

・1696年(元禄9年) 三谷村の庄屋が重陽の節句に神幸の儀式を行う。
・1712年(正徳2年) 松葉嶋(松区)を宮元として全村六区で祭りの神事(神輿渡御)を行う。
・1790年(寛政2年) 東区の神船若宮丸が建造される。
・1800年頃 その後、村の発展と共に祭りは盛大に。
絢爛豪華な山車を各区が競って建造するようになる。
山車を海中に曳き入れて渡り、神楽や踊りなど余興を奉納するようになる。
今日の規模に劣らぬ祭礼が行われるようになる。
・1893年(明治26年) 中区の花の山車が建造される。
・1916年(大正5年) 西区の恵比寿の山車が改築される。
・1921年(大正10年) 北区の三蓋傘の山車が建造される。
・1935年(昭和10年) 上区の剣の山車が建造される。
・1957年(昭和32年) 蒲郡市が有形文化財として四台の山車を指定。
・1960年(昭和35年)  伊勢湾台風の影響により河岸埋め立て工事が行われ、海中曳行が中止。
・1961年(昭和36年) 蒲郡市が有形文化財として神船を指定。
蒲郡市が「三谷祭」を指定無形民俗文化財に指定。
・1969年(昭和44年) 蒲郡市が有形文化財として神輿を指定。
・1995年(平成7年) 一台の山車を海中試し曳き。
・1996年(平成8年) 創始三百年祭で山車四台を海中に引き入れ海中渡御が復活。

現存する資料によれば、
社家(しゃけ・代々特定神社の神職を世襲してきた家のこと。八劔神社は武内氏、若宮神社は山川氏)中心の祭事から村全体の行事へと転換されていった祭礼の最も古いものは、正徳二年(1712年)に記録があり、佐左衛門の地元、松葉嶋(現・松区)を宮元として庄屋松葉浜に全村六区の集会を求め、祭りの神事(神輿渡御)を行ったとされる。

その後、村の発展と共に祭りは盛大になり、京都祇園祭の影響を受けたとされる絢爛豪華で雄大な山車を、各区が競って建造し、これを海中に曳き入れて渡り、神楽や踊りなど賑やかな余興を奉納するようになった。
これに伴い、祭の運営の秩序が確立され、厳格な規律のもとに祭礼が執り行われるようになり、文化文政期(1800年頃)には、今日の規模に劣らぬ祭礼が行われていたことが、記録や諸道具によって判っています。

その後も連綿と「天下の奇祭」として受け継がれてきましたが、伊勢湾台風の影響による海岸埋立工事で海岸線が失われ、伝統の山車の海中渡御は、昭和三十五年の祭礼を最後に姿を消しました。

しかしその後、地元住民の強い存続意識に加えて、山車の海中曳き入れを復活する声が高くなり、若宮神社東の海岸において、平成七年には一台の海中試し曳き、翌八年の「創始三百年祭」には四台を曳き入れ復活の途につきました。

昭和三十二年三月、蒲郡市は先に有形文化財として四台の山車を指定し、昭和三十六年に神船を加え、さらに昭和四十四年に神輿を指定しました。また、同に「三谷祭」を指定無形民族文化財に指定しました。

現在曳かれている山車は、上区「剣の山車」、中区「花の山車」、北区「三蓋傘の山車」、西区「恵比寿の山車」の四台です。新造されたり大改修されたものであるが、いずれも彩色彫刻の施された絢爛豪華な山車です。