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<七福神踊り保存会結成について>
七福神踊りは江戸時代の民間信仰から豊年祈願として始まったもので、中屋敷嶋(現在の北区)の若連、若衆によって組織されていた。明治後期の青年団結束の頃から、北区青年団が継承にあたり、伝統芸を保存してきた。しかし昭和30年代後期になると、青年団活動は徐々に衰退し、七福神踊りだけでなく、三谷まつりそのものの存続も危ぶまれるようになってきた。
北区としても、長老達をはじめ祭典を愛する区民達によって祭典の保存に試行錯誤を凝らした結果、昭和42年1月11日、結成大会を行う運びとなり、北区七福神踊り保存会が発足し現在に至るものである。
         会員数 平成22年10月現在 154名
氏神  秋津神社
山車  三蓋傘の山車
練り  七福神踊り、子踊り
備考   三谷の最も北方に位置
北区の七福神踊りの由来は、その昔この地の漁師が時化に遭い、異国の地で温かくもてなされ、再び国帰り、この思い出を長く伝えたいと、家に伝わる七福神の面を利用し、異人の踊りを村人に伝えたと言われいる。弁財天の遣いの白狐に化かされ、神々が勇壮活発に踊るところが特徴である。
北区の山車である「三蓋傘の山車」は、山車の前面の山車幟に三つの傘を末広がりに組み合わせて、その象徴としている。四方四面の欄間の彫刻は、楠正成・正行公の太平記の史実を、見事に浮き彫りにしており、近江の国醒ヶ井の住人、彫刻師、八代森丹渓の名作である。

山車の詳細はこちら
山車の欄間の彫刻にある楠正成・正行の太平記の史実にちなんで、七福神踊りの添え踊りとして、昭和47年に創作された踊りが、「大南公踊り」と呼ばれる子供の踊り、いわゆる「子踊り」で、「綾竹」と「扇の舞」の2種の踊りで構成されている。
この曲は、他の区にはない北区独特の曲である。
ゆったりとした調べで、一度聴いたら「何とも幸せな気持ち」になれ、聴く者を皆釘付けにする名曲である。
八劔神社の社務所前、若宮神社の中段のみで演奏される。
北区にはお囃子が十七曲ある。それぞれの曲は演奏する場所が宮の中・道中で細かく決められている。
北区の奉納の練りは大年行司から始まることを常としているが、まず最初に演奏する曲が御門口である。このお囃子が演奏されなければ、お祭りに於いて何も始まらないと言う最も大切な曲である。
北区七福神踊り保存会として、代々伝えてきた七福神踊りの曲である。
ふくよかな神々が、先頭の白狐に化かされ、この曲に合わせて勇壮活発に踊らされている。七福神踊りにはぴったりの曲調で北区自慢の一曲である。
三蓋傘の山車の格納庫である山車蔵は、大正十年に建造され、城郭の石垣のように石を積んだ基礎の上に赤煉瓦の外壁を立ち上げた珍しい造りが、山車蔵としては、ほとんど例がないとして、北区の山車蔵が、国の登録文化財に指定されたものである。
北区の七福神踊りに、弁財天様のお姿が見えないのは、この踊りが飛んだり股を開いたりするから。
女の神様である弁財天様は、囃子堂の中で踊ることは遣いの白狐に任せ見物しています。
というわけで、北区の囃子堂のことを「弁天堂」と呼んでいる。
七福神の踊りの白狐を除く六つの面能は、和紙の一閑張りに胡粉彩色という独特な製法で、複製は困難と言われており、大変貴重な蒲郡市の文化財であります。
特に頭の長い福禄寿の面は、4kg以上の重さがあります。
毎年7月の第3土曜日に三谷小学校校庭において、秋津神社の祭礼奉納煙火として手筒の竹切りから始まり、煙火込みまで保存会員の手作りによる手筒花火が奉納される。
嘉永元年、慶応2年の二度の大火の後、火災防止祈願のため、非伏の神(秋葉神社)へ奉納したのが始まりとされている。