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江戸期には「中濱嶋」、明治から昭和初期までは「中濱區」、現在では「中区」ですが、今でも「なかはま」と呼ぶ人も少なくありません。法被の文字も「中濱区」!
まわりを他区に囲まれ広がる事が出来ず、他地区への流出が増え、空き家、駐車場が目立ち、人口の減少に歯止めがききません。人員不足による祭の形態、運営方法の変更が継続的な検討課題になっています。
しかしながら、かつての世帯数、人口が6区で群を抜いて1番だった頃の心意気は今も受け継がれ健在です。
氏神  秋葉神社
山車  花山車
練り  連獅子踊り、子踊り
備考  中濱嶋→中濱區→中区
 なかはまとも呼ばれている
明治26年(1893年)建造。棟梁は阿久比の名工江原新助、彫刻は尾張藩御彫物師の流れをくむ九代早瀬長兵衛。両巨匠の明治期の貴重な作品といえる。


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大正10年(1921年)それまでの「十二支踊り」を廃し、名古屋西川鶴吉氏の振り付けにて創始。
流麗な手さばき、ダイナミックな毛の振りは見る者を虜にする。
踊りの手は「連れ獅子」「狂い」「巴」「登り」「御神楽」の5種。
嘉永元年(1848年)より歌われる。350年以上前の有名な仇討ち噺「宮城野信夫」が題材となっている。現在では始めと終わりの15節ずつ、30節ほどを歌っている。
平成19年に復活した「五色おんべ」と共に神幸行列の先導に花を添えている。
連獅子踊りの他の4種と異なり、落ち着いた雰囲気で趣深い曲、踊りである。
殊に晩宮の拝殿前では幻想的な雰囲気につつまれる。
かつての十二支踊りの「扇の踊り」、十二支踊り廃止後、古老たちの熱望で昭和8年頃現在の子踊りに「東山の地唄」とともに復活。
元々大人の踊りであったため、足の運び扇子さばきは難しく、それを今ではチビッ子が健気に踊ります。
これもかつての十二支踊りの曲で長老が地唄を覚えていて、それを基に平成7年に復活しました。
踊りと踊りの間に、地唄とともに演奏します。
神幸行列の道中では、海岸線を除き、往きも帰りも若い衆が囃子堂を担いで行きます。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、見物人の目を楽しませます。
山車起しを歌う時に使う「おんべ」。昭和初期の物を色々模索して平成19年に復活。神道の五色絹の五色を使い、華やかな上にも厳粛な神幸行列の先導をつとめます。
祭りの前には八劔神社でお祓いしてもらいます。大切に持ち帰れば御利益あるかも?
どの宮においても、中区の子踊りが練りの最後を締め括ります。それも晩宮では、祭りの終わりを惜しむかのように「もうひとつ」「もうひとつ」をくりかえし、拝殿の階段を登ってしまうことも。
「これを見ないと祭りが終わらん」と多くの見物人が集まります。
毎年7月第4土曜日。町内4区の夏祭りの最後を締め括ります。
場所は秋葉神社及び三谷魚市場西埠頭。
手筒花火、乱玉、水上を走る金魚花火、大ナイヤガラ(銀滝)、打上げ花火、仕掛け花火とバラエティーに富んでいます。
目の前で上がる8号玉は圧巻です。また、手漕ぎの屋形船での祭囃子も夏の風物詩になっています。